烏有文集 二〇一九年六月

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2019.06.01 [土] 日記復活
2019.06.02 [日] 一日休み
2019.06.03 [月] ふりかけノスタルジ
2019.06.04 [火] 皮剝ぎボリス
2019.06.05 [水] うちの本棚の一部
2019.06.06 [木] テレビの前のひと
2019.06.07 [金] ちょこみん党
2019.06.08 [土] 時の車輪外伝
2019.06.09 [日] PSN復帰
2019.06.10 [月] 写真いくつも
2019.06.11 [火] 連絡手段が昭和
2019.06.12 [水] ごはんですよ
2019.06.13 [木] ごはん後日談
2019.06.14 [金] るなどん
2019.06.15 [土] 竹取異聞

2019.06.01 [土]
日記復活

インターネット公開用の日記を書くのは数年ぶりのことです。採用しているこのページのフォーマットは、2003年から始めた日記ページのHTMLを流用しています。形式もHTML4.0のままです。HTML5.0で同デザインに仕立てるには、HTMLにも工夫が必要になり、そのためといって、使用経験のないタグを用いるのも面倒に思われまして。

とにかく、日記ページをふたたび始めます。テキストサイトの流行をよそに、ひとけのないサイトで数年単位で日記を書いてきたわたしですので、今回もしぶとく綴ってまいります。あのころからすこしは文章力がついたのか。底の浅さが露呈するやもしれません。恥をかかぬよう、充実したアウトプットのためにも、インプットをおろそかにしないよう気をつけてまいります。

 

*

 

Vita『ペルソナ3ダンシングムーンナイト』(アトラス)を遊んでいます。インターフェイスが洗練されてる印象のつよいこのゲーム。テーマカラーというのかな。ブルーを基調としています。飛んでくるノーツに合わせて、タイミングよくボタンを押してコンボをつなぐことが目的のリズムゲームです。ノーツの一個一個を見ていると、ブルーとひとくちにいっても、特に明度の濃い、ビビッドにも感じられる鮮やかな色合いのブルーが用いられている。これまでのペルソナシリーズには、3は青、4が黄、5に赤というカラーが基調にありました。デジタルでなんとでもなるいまの時代に、テーマカラーを明確にして、まとまりを感じさせているところにセンスを感じます。無意識とか、夢とか、ともすれば、あやふやになりそうな話を展開させるからこそ、インターフェイスに端正さを感じさせるのは、よいバランスに思えます。

難易度ノーマルでも、それなりの数と密度でノーツが飛んでくるから、遊び甲斐があります。しだいに長い楽曲を遊びたくなります。いずれ、音楽も自動生成で、えんえん続けられるリズムゲームが登場するかもしれない。あるいは、自分の好きな音楽を、コンピュータに自動でノーツを割り振ってもらって、生み出されつづけるノーツを、くるくる、くるくる、えんえん廻し続ける未来予想図もありえそうです。いってしまえば、実生活自体、ハムスターの回し車みたいなもんだけど。回し続ける楽しみもあるからね。だからこそ生活も維持されている。

 

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小林秀雄を読むとドストエフスキーを読みたくなる。十数年かわらない事実です。「悪霊」も「カラマーゾフの兄弟」も、自分の理解は、物事の上っ面をほんの少し撫でた程度でしかないことを痛感する。意識を深化させようと小難しい書き物を読む努力をしてみたり、幅を広げようと未知のものに手をのばしたり、あるいは、これまでに読んだものを再読してイメージの世界をさらに奥へ向かわせようと試みたりします。数年おきに重要な作品にあたるけれど、これがいまの限界とわかって渋滞する。仕留めようと思って、反対に、仕留められる。実作を試みる方が、よほど優れた理解なのだろう。受け身で居たい自分がいる。創作、小説を書くとなれば、たよりは自分であり、自分の責任でなにもかも引き受けなければならない。独善的で利己的な反発を周囲に生みかねない。書くことを、決然、前へと進ませる原動力は、つねに内面から発生する。これの枯渇を書き手はおそれる。自己が肥大する可能性もある。ただしいやりかたでふり返らなければ自滅する。そんなことは、ひとりひとりがわかってる。書きたい、けれども、どう描くか。「いかにして」こそが、最大の懸案事項である。

2019.06.02 [日]
一日休み

少し前にインターネットの手続きをして、すぐに登録証が送られて来ました(仕事が早い!!) さっそくルーターを買って接続しました。いろんなところで、ぴこんと通知が飛んでくる。登録情報の変更が面倒そうです。

今日は夜勤あがりで、仮眠を20分ほど取って、すぐに外出しました。書店で一冊文庫を購入して、文具を買って、あとブックオフにも立ち寄って。

書店での立ち読みは、新書ばかり、十冊くらい、気になるものを飛ばし読みしました。日本語や文学に関連するものがほとんどです。三島由紀夫の豊饒の海のラストは本当にあれでよかったのかという疑問を呈出しているものがありました。しかし、こうやって、前日にあったことを想いだそうとしても、何を読んだかさっぱり頭に残ってないのは、中途半端な読み方ではなにもならないということでしょう。しかし本文を目にすれば、前に読んだなあ、といった記憶くらいは残ってるから、今度はそれであなどって、まじめに読まなくなるという悪循環があります。

創元文庫で刊行中の「セブン・シスターズ」の第二部をこんど買ってこよう。よく読まれているという意味で、ベストセラーらしいベストセラーです。いま、プレアデス関連のコンテンツに触れていたので(ゲームですけれど)、毎日新聞の書評欄で知って、このまえ、第一部を買いました。

2019.06.03 [月]
ふりかけノスタルジ

このまえ買ったごはんの友――三種のふりかけです。「おとなのふりかけ」シリーズは登場した当時、中学生だったか高校生だったか記憶はさだかではありませんが、わさび味のふりかけという斬新さに気持ちが持ってかれました。ぴりっとした刺激。以来、おとなのふりかけといえば、わさび味、とイメージが固着しました。

わさびとか、からしとか、刺激のあるものが好きです。大根おろしも好きだし、マーボー豆腐も辛めが好き。ただ水にさらしてないたまねぎは苦手です。そうめんにも、ひやむぎにも、薬味はわさびを用います。ただしチューブ式ですよ。(ドラマ『孤独のグルメ』でゴローさんが、鮫皮おろしで、わさびをすって食事をする回がありました。天然物のすりたて。自分でするのは、実感も手伝って、きっと旨さも倍のせですね。)そんなわさび味がいまもラインナップに入ってるのが嬉しい。買うのは十数年ぶりでした。

のこり二つは、素材の味がしっかりしてそうで、原材料をチェックして買いました。夕食が楽しみです。今日も夜勤をがんばろう。

 

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ツイッター、読書メーター。ときおりつぶやき、書き込みました。

2019.06.04 [火]
皮剝ぎボリス

ボリスは『ねじまき鳥クロニクル』の登場人物です。

そんなことはしたくないけど、するしかなかった。あの場にいれば、誰でもそうしないわけにはいかなかった。みんなの前でただひとり、自分だけが、命令を拒むことなんてできるわけがないだろう。そうして、集団の中に個人の選択はうやむやにされて、意思決定の過程を無視したままに、判断がぼんやり固まってしまう。集団の暴力は、ひとりひとりに罪のないものか。自分がひとりの主体であることを引き受けない個人の集まりが、ぼんやりとした集団を形作る。戦時下の狂気というもの、いまの時代にもときおり同じ色味をもった火花が飛び散っている。

「場を乱してくれるな」の空気感は、無言の圧力となって、その場に居るもの全員の肩に覆いかぶさってくる。誰かが一歩先んじて道を踏み外せば、雪崩を打って追随するか、傍観を決め込むか、そんなところだ。まちがっても、制止することはない。ひとりひとりが信念にしたがって行動したのならどうであったか。信念を遠い昔にどこかへ置き忘れた人たちは、どんな行為に及んだか、と考えれば、到底、この小説も軽々に扱えない。バットやナイフがどのように用いられたか。用いられた時の行為者の内面をおもえば、きっと、現在起こっている多くの問題について、通り一遍の「よくわからない」ではない、たくさんの解答案が見つかるに違いない。言及も、考究も、眼に見える場所でされていないことにたいして、わたしは大いに不満だ。

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中日新聞の「大波小波」の今日のタイトルは「令和の『白い巨塔』」というものでした。仕事があったので、第三夜と第四夜を見逃しましたが、一、二、最終夜は観ました。岡田准一さんと、松山ケンイチさんのコンビ、よかったです。財前先生と里見先生。まえのドラマ――唐沢寿明さんと江口洋介さんのときも観てました。ドラマ『振り返れば奴がいる』を先に見てしまったので、どちらが本家かという点ではもやっとするけれど、医療ドラマのラストは、人を治す医師自身が病を得て、そこではじめて、医療の価値を知るという展開が定番なのかな(漫画『ブラックジャック』も自分が病気になる展開の話はあったかな、確認してないのでアヤフヤですが)。

新聞コラムのなかの、菩薩と夜叉の相交じった妻の面貌が不気味に笑ったシーンのこと、この箇所は、あいにく見逃してしまったようだ。ただこの言葉を見るだけで、複雑な表情だったことはわかる。人の表情は、どんな風にでも解釈が可能で、そのわからなさは、自分の心のわからなさであり、人そのものにあらかじめ備わった不確かさのように思う。「それはこれ」と断定できればラクなんだろうけど。結局、わからないけどわかってるというところに落ち着くんだけど。みなまでいうな、ですね。

2019.06.05 [水]
うちの本棚の一部

このくらい平気かなと思ってとっていた行動が、実際には、人に大きな戸惑いを与え、かつ長く悩ませていたと知りました。指摘されてようやく気づく鈍感だからほんとに申し訳ない。反射的に、なんども謝りました。また、事実、反省もしますが、なにしろこの種の失敗に事欠かないわたしです。人間関係も馴れてくれば、しだいに緩んでくる。ちゃんとしないと、いずれ大きなひびが入りかねません。胸に刻んでおきます。

 

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アウトカムとアウトプットのちがいが、新聞コラム「紙つぶて」に書かれてありました。教育によって自分はどのように変化したか、またどのような影響を受けたかが大切であり、目に見える結果や成果ばかりを求めて行けば、いずれ本質を踏み外すよという話でした。ノーベル賞受賞者が口にする、「基礎研究こそ肝心かなめ」という文句、「土台が厚くあってこそ、応用もまた利く」という理屈には、正しさしか見えません。足許から積みあげて行く地道な作業しか上達の方法はありません、という数学の学習の実例もありますから。ちなみに(ちなんでないけど)、そんな当方は、アウトカムの意味もよくわかってない英語音痴ですよ( ノД`)

 

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本棚の一部――おもに新潮文庫の回。

仕事場の休憩時間に本を読んでいると、その本は買っているのかと問われます。買っていると答えれば、奇妙なものをみる目つきが飛んできます。でもそのおかげで、相手がむかし買った本の話ができました。この写真の本の半数以上は、15年以上前から本棚にあります。落着いて読み直したい本が多くあります。

 

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さて、今日はYU-NOですよ。

2019.06.06 [木]
テレビの前のひと

『ねじまき鳥クロニクル』を読了しました。テレビの前に座って、一日ニュースを見つづける人々の世界は、テレビ映像がすべてになる。世界はそこにしかないように受け止める。周縁に属する主人公は、そう思い込む。主体性を失ったように見えるそれらの人々の行為を確認するほどに、真実に思えてくる。映像はまやかしと判明しても、胸の奥底にすでに刻印された痕からの疼きからは遁れられないのではないか。現象には、想像からくるものが漏れなくつきまとう。心理学を想定しながら読むのが面白い。

ノモンハンの関連も興味深い。集団の圧力が、ひとりひとりの抵抗感を解体する。ひとりでは意思決定のできない個人の集まりが、集まれば、意思決定からさらに遠ざかる。おかざりの頭だけで、脳はまったく働かない。本能でなく、惰性のみでくねくねと這いずり回る形で、集団は物事をやり過ごす。不吉な生き物を見るようであった。

2019.06.07 [金]
ちょこみん党

Twitterで、明治のぎっしり満足チョコミントのことをつぶやいたのがきっかけでどうしても食べたくなって、朝にコンビニまで直行しました。雨が降る前の事でした。買って駅前で食べてる最中に、一滴二滴、ぽつぽつと手にあたりましたが、本降りになることはなく、食べ終わったゴミを片付けて、帰路につきました。デジカメを持っていたので、チョコミントの写真を撮りました。

寝る前にTwitterでつぶやいているうちに、さいきん増えていた音ゲーをひとまとめにして記念撮影をすることに。わたしの行動はいつも衝動的で、突発的なので、自分でも、次になにをするのかわからない面があります。さいきんはもっぱら、『ペルソナ3 ダンシング・ムーンナイト』ばかりを遊んでます(今日、ハードモードをひととおりクリアしました(総プレイ時間は5時間10分です)。のこすは、オールナイトのみ!)

本日発売の『新潮7月号』を購入しました。三島由紀夫賞の発表に伴う審査員の講評のいくつかと、安藤礼二さんによる公開質問状が面白かった。わたしの問題ではあるけれど、小説に惹かれるものはとくにありませんでした。古井さんの小説は好きだけど、書き方という点ではパターン化しているように見えて、表情がいつも同じに見えだしてきてます。ただ、説話文学的な印象を帯びているのは見えてます。それが古井さんのいまの自然な書き方であるのもわかってます。じっくり読んでいる時間がとれないだけの話かもしれません。

そして、ひさしぶりにSTEAMに接続しました。一番にえらんだタイトルが「ルナティックドーン」です。前に遊んでいたのが生きてました。いまみたら、主人公以外、パーティ三人ともドワーフ族やないですか。肉弾パーティですわ。体育会系ってやつですね。物理でなぐる。主人公ときおりヒーラー。

いま懐かしい本、ロバート・ジョーダンの『新たなる春(下)』を引っ張り出してきました。ラノベよりも、ハイファンタジーが好きだったことを追認しています。2002年あたりから、ハヤカワ文庫を熱心に読んでました。なつかしいなあ。

2019.06.08 [土]
時の車輪外伝

睡眠時間の足りてなかった昨日の勤務は地獄でした。歩きながら寝られそうでした。その反省をもとに、眠れるときにちゃんと眠っておかないと、と肝に銘じました。今日もまた夜勤なので、とうぜん、今日はぐっすり眠りました。

ワイン一本あけました。ぐっすり眠れるわけです。途中起きたときは頭が痛かったけど、もう一度寝たらすっきりしました。寝不足の次は二日酔いなんて、目も当てられません。助かりました。

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ロバート・ジョーダン『新たなる春 ―始まりの書―(下)』を読みはじめました。モイレインとシウアンの物語。本編の時間よりも以前を扱ってます。修練生から異能者候補へ。異能者候補から異能者へ。竜王の再来が生まれる予兆があったと知り、モイレインは自分がそれを見つけたいという気持ちを抱いて、いてもたってもいられなくなります。ふだん冷静に見えるモイレインも、ときおり浮かべる物憂げな表情の奥に、焦りや苛立ちや不満がたくさん渦巻いていたのだとわかればわかるほどに、この異能者になった二人の人物造形は、精神の有り方からして、かなりリアルだよなと思われます。

ロバート・ジョーダンはすでに亡くなりましたけど、この物語の主線は、どこのものを参考にしたのでしょうか。いろんな文化がまじってるようで、読んでいて、ふしぎな気分になります。

2019.06.09 [日]
PSN復帰

金曜日の雨のあと気温も落ち着いて、過ごしやすいというか肌寒いというか、人からいわせればうっとうしい天候がつづいてました。ただし、わたしにとっては、曇り空は願ってもない過ごしやすい気候であります。

今日はPSNの再設定をするために、VitaとPS4にプログラムをインストールしました。回線がトロいために、えらく時間がかかりました。また、かつて遊んだ『ハーヴェスト・オーバーレイ』の1600MBくらいある本体を、ネット経由でダウンロードして、Vitaに入れました。アドベンチャーゲームです。近未来的のVR、ARのようなガジェットの出てくる物語が面白かったので、ふたたび楽しんでみたくって入れました。

一日休みなので、アメリカ産のサーロインステーキを二枚買って、昼と、夜とに一枚ずつ焼いて食べました。昼はレア気味に。夜はミディアムレアっぽくして、肉の軟らかさを堪能しました。さしが入ってるわけでもない、いわゆる赤身肉で、いま肉を食べているんだ、と強く実感できて満足しました。

読書ははかどってません。執筆は5枚書けました。現代ものを書き出しから書きました。書いていないと落ち着かない時期がありました。いまは、書いていると多少落ち着くな、と軽い気持ちであたっています。捕われるくらいにのめり込むのもひとつだけど、書いても書かなくても誰も困らないけど、書きたい気持ちの出てきたときに書いておこうとゆるく決めるのが気持ちの安定のうえでよさそうだな、なんて思ってます。

 

*

《きょうのスナップ写真》

この時季の雨が好きです。気温のせいもあって、雨の一粒が大きいし、なによりやわらかい。雨に当たるのも心地よくって好きですよ。

 

農業の大敵、もぐらさん、のあな。あぜぬりをしても、穴を開通させて、たんぼの水を抜いてしまうという、童話のような展開をいつも考えてしまいます。畑では、野菜の根っこをつぎつぎに貫通させるいたずら好きの暴れん坊。ホームセンターでは、モグラ対策の機材が売り切れるほどです。どこでも困ってるんですね。わたしは農業はノータッチです。

2019.06.10 [月]
写真いくつも

スパゲッティを作りました。製作時間12分という手軽さです。

●使ったもの
魚肉ソーセージ、しいたけ、レタス、にんじん、スパゲッティ、
中濃ソース、ケチャップ。

 

ソースもぜんぜん力入ってなくってごめんなさい。食べられればいいやって感じだったので。シンプルにだしと塩味だけでもよかったかも、と食べてる途中に思いました。このところ、甘辛い味だったり、市販品的な調整された味に舌が悪馴れしてしまっているので、味覚が嫌な感じになってます。爽やかな味だけで一日すごしたい。水分多めのおかゆさんあたりがあってるかもしれない。でもそこまで踏み出せない、よくわかんないプライドがあったりもします。複雑です。

 

*

いま読んでいる本。

 

ロバート・ジョーダンの『時の車輪』シリーズ外伝。本編より以前が舞台です。モイレインとシウアン、二人の異能者候補が、いざ異能者となって竜王の再来を探すところまでが描かれます。すでに本編が何部と書かれていったあとで筆を執られた作品であるから、文体も一部や二部のときとはあきらかにちがってます。わたしは第一部のときの地の文での描写が多少みっちりなされてあったあのボリューム感が好きだったので、この外伝や、六部七部あたり以降に顕著な、セリフのあいまに挟まれる行動の説明のぶつぎりっぽい文章のたんたんとした文体に物足りなさを感じています。ただ、本編が面白いのと、モイレインのキャラクターがとてもいいのとで、ついつい読んでしまいます。好きですよ。

 

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自然三撮

 

柿の実。まだ青くて小さい。

 

 

密生する葉と葉と葉。

 

 

群れ集まる草たち。

 

初夏と、雨と、緑。とても好きなものです。

2019.06.11 [火]
連絡手段が昭和

Kindleを再登録しました。半村さんの『太陽の世界』を読もうとしたところ、ファイルを読み込めませんでした。不具合の回避方法を検索で見つけて、その手順に従って再登録してみると、作品を読むことができました。文章が表示されたことに満足してしまって、じっさいに読んだ文章は二ページ分くらいだったのですが、これって、手段に満足して目的を忘れてしまったかたちですね。ありがちです(笑)

山田玲司さんのYouTube動画を見ました。れいとしょうの濃い語りがよかったです。『輪るピングドラム』の解説もよかった。これまでのアニメの文脈と異なる部分で売り出しているからこそ、そこにひっかかりを感じて、いざ語ろうとするまでに至ったおっさんたちが、ほとんどなかったんだって話は面白かった。わたしは村上作品との関連性に面白さを感じています。まだ知らない物事が村上作品幾原作品双方に隠れていると思ってます。ただし、謎を解くことはパズルを解くことと同じで、それ自体は読み手の自己満足にすぎない気がするし、物事を深く理解するには自分で作ってみるのが一番だという言葉に従いたいと思ってます。いいものを味わえば、自分でも作りたくなってくる。これこそ、モノづくりの好循環のモデルでしょう。

帰宅後、ラーメンを一杯と、アルコールを三本あけたところで記憶がなくなってます。気がついたら、寝室でない方の部屋にざぶとんを投げ出して、そのうえで寝てました。部屋の電気はつけっぱだし、起きたらいま何時なのかわからないし、あとで聴いたら、電話がかかってきたけど、ノックにも反応がなかったから、謝って、切っておいたといわれました。わたしは携帯電話もスマホも持ってなくて、連絡手段は、家の固定電話のみという、いわゆる昭和型をやってるので、直連はPC経由でしかできないのでした。こんど、相手に謝っておかないと。

今日はYU-NO。あしたはさらざんまい。さらざんまい、初体験です。

2019.06.12 [水]
ごはんですよ

炊いた3合のごはんを一日三食ですっぺり平らげてしまったほどに、このところ食欲が旺盛です。ごはんなんざカロリー補給の意味しかない。おかずをほとんど食べない一日でした。ひたすらお茶碗にごはんをよそって、ふりかけやら納豆やらでぱくつくという食事でした。食後に濃いめのお茶をいれて飲んだりね。食事の機会も粗悪なものを口にする機会が多すぎて舌の感覚のおかしくなってきてるのが自分でもわかってます。なので、夕食のおかずは牛肉の炒め物でしたが、化学調味料の系統はつかわないようにしました。醤油と味噌と塩と味醂。これの組み合わせで調味しました。薄味に物足りないと感じてしまうその舌のさびしさこそ化学調味料や添加物でそれっぽい大味にならされてしまった舌の感覚のあやうさを示していると感じてます。一方で、たしかに醤油にしても味噌にしても、かつてあったようなミネラルの旨味の部分がうすっぺらになってるのにも気づいてます。

食材自体の質も低下しているし、調味料もいい部分がやせてきているし、それで食事は教育の一部――つまり食育だ! といったところがお里が知れています。基本的に新たまをざくざく切って、炒めて、軽く塩しただけのほうが旨いんですから。手をかければかけるほど拙い方向に向かってしまういまの食文化って終わってますね。お手軽な粗悪品で満ちてる印象。コンビニエンス的ないわゆる利便性って時間の節約、金銭の節約の、カットしてカットしてカットしてぺらっぺらの存在にしてしまうことでしょう。無駄を省ければいいけど余裕として必要なもの、本質的に良いものすら物の価値を見ずに切り捨ててしまうから目も当てられない惨状だけがいま残ってるという印象です。どうするんでしょうね。すでに氾濫する食事が、数十年前から見れば操作につぐ操作をなされた代物であるわけで、もはや宇宙食です。ここにゲノム編集が加わってくるし、原産地無視の播種による地域の植物相の破壊行為があったり、フォワグラをばかにできないような家畜の飼料の人為的偏差の変遷があったりと。いっそ一日のうち一食はグミと低カカオ分チョコレートでもいいと思ってしまう甘い物好きのわたしですよ。

「YU-NO」を観ました。当初の熱心さは薄れてきたかな。ただわたしが思春期の頃に接してきたコンテンツの多くは「スクールカースト」以前のものです。クリエイター自体がそのことを明確に意識して作品をつくっていたわけではなかった。00年代のものは、もうすでに集合体の中にヒエラルキーがあることを物語の構造として前面に押し出して、それありきで語られていきます。しかし、大人と少年の対立というのは壁として直面する時点まではクローズアップされないのがほとんどでした。だからこそ、幼い時期に越えられない壁を意識させられて高望みすることをあきらめる世代と、やれるだけはやるという世代とのあいだにギャップがある気がしています。ギャップのちょうど狭間辺りにいた世代であるわたしたちは、ひょっとするとどちらの基盤にも乗ることの出来ない永遠に浮遊する存在かもしれないなと思ってます。だから昭和のコンテンツも平成のコンテンツも令和のコンテンツもふらっとに見られてしまっている。意識しないのでなくてずっと見てきたから、頭の中に整理もついているうえでコンテンツを見ることができている。これは世代がどうというよりは不惑――つまり四十歳を超えてしまっているからこそ、身内に受け入れてしまった安定がなせることかもしれないですね。いまこのときの時間は誰もがはじめての体験だからうまくかえりみることができない。YU-NOを観ながら20年前のコンテンツがいまアニメ化されることの意味合いを考えてました。

2019.06.13 [木]
ごはん後日談

12日にごはんのことを書いたら、水曜日発売の「週刊少年サンデー」の「あおざくら」でも三年生が飯食え飯を後輩に強要していてタイムリーだと感じました。こういうことってあるな。「伝統」といえば有無をいわせない雰囲気を安易に作り出せてしまえる。口にする本人だけを相手にするのでなく、その背後にあるであろう無数の人たちの意見すら相手取って一人で捌かなければならない印象を抱かされる。結果、逆らえなくなる。しかもその「腹いっぱいごはんを食べてから運動しろ」という「おきて」が出てきた根拠も不明です。命令してくる相手に「どうしてですか?」と尋ねて根拠を説明できない場合、それは、科学的論拠の不在、つまり中世暗黒時代とおなじ科学の時代以前のメンタルで行動しているということでしょう。「伝統」ではなく「習慣」です。理由はなくともいつも繰り返し繰り返ししているうちにそうすることが「くせ」になってくる。正当性は問われない。惰性で繰り返すだけでも習慣は形成される。いってみれば、主食はごはんというのも習慣なのかもしれない。主食というふうになにか一種類を「主」たるものと決めてかかるのも習慣化していることのひとつか。そこから脱したい人がいまはタピオカをすすってるって感じだろか。無理から時事ネタに絡めてみました。

「さらざんまい」の第一話を観ました。これは美味しいやつです。Blu-rayボックスになってから買うと思います。コマの中でキャラクターがスムーズに動いてくれるし、手間のかかってるのがよくわかる。そして適度に謎がまぶしてあって、たぶんこうなんじゃないかと思えるものがたくさんあった。箱男は安部公房の影響もあるかな。箱田さんって出てきてたよね。文学をエッセンスとして材料としてうまく作品に生かしていらっしゃるようでした。全篇通して見られる日の来るのが楽しみです。

2019.06.14 [金]
るなどん

豚肉、なす、たまねぎ。以上! という内容の炒め物です。少し前にスーパーで買った「飛騨清見ソース」という中濃ソースを試したくって作りました。ソースをベースにして多少調味料はアレンジしましたが、出来上ってみれば、ソース焼きそばの味そのものという感じに仕上がりました。このところごはんを大量に食べているので、どこかの段階で控えなければなと思ってます。いくら仕事が身体を酷使するものだからといって、食べる方を遠慮なしにしていれば困ったことにもなりかねない。加減が重要ってことですね。

 

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数日ぶりに「ルナティックドーン」を起動しました。

エンカウントしてから、不必要な戦闘は逃走を選択するのですが、一方的に攻撃を喰らって、それでもなんとか成功します。これは純粋に確率を算定してないからわかりませんが、なんとなく、HP1でぎりぎり逃走成功というパターンが多い気がします。この1になったあとで、フィールドでは、回復魔法が使えないから、キャンプモードで、数時間やすんで回復することを求められます。運が悪ければ、敵の奇襲を喰らって、さらにHPが減った状態で戦闘に突入します。これは一種のギャンブルです。8時間の休息を選んでボタンを押すとき、運を天に任せる気持ちで押しています。今回はなんとか成功しました。そして、進めていきます。

フロアが進んでからなのか。セリフ付きエンカウントが妙に増えてきました。こういうとき、ゲーム進度がとことん遅延するのでストレスになってきます。ダンジョンでセリフ付きエンカウントが発生するのはたいていの場合、ひとつの部屋で一回なのですが、今回は一部屋で三回発生が、数部屋で起りました。もちろんプレイ中のストレスは跳ね上がりました。こういったダンジョンは達人がいるとか、そういった明確な隠し要素があればいいんだけど、そうでもないのですよね。これが発生するときの理由ってなんなんでしょうね。まあ、力業で持っていけないこともないからがんばりますけど。むずかしいな。

2019.06.15 [土]
竹取異聞

青春アドベンチャーの「竹取異聞」を第四回まで聴きました(らじる☆らじるの聞き逃し放送です)。主人公が、辻端で、かたりうり(講談師みたいなの)をします。かたりうりという言葉を耳で聴いたときに、「語り売り」というのが素直な聴きとり方ですが、頭の中に余計な漢字が入っている私は、「騙」「沽」という漢字が浮かびました。小説は戯作であって、戯言であって、虚言であるといえなくもない。だますようなものにちかくて、物を語ることは、騙ることであるかもしれない。なにかを売り物にするとき、多くため込んだもののなかから、機を見て、これと定めたものを流していく。そこにさんずいの漢字は意味合いから言ってしっくりくる。そこで、漢和辞典で調べてみました――「沽」。

こちらは、中島敦全集の「弟子」から。

耳で聞き取った言葉を瞬時に原稿のように頭の中に文字で受け止めるから、こんな風にひとつひとつの単語を変換する頭脳をもってきています。

四回分聴いてみて、セガサターンで遊んでいた「カオスシード」の雰囲気に似てるなと感じています。これは攻略本ですよ(ちゃんと残してます)

サウンドの感じだったり、展開の軽快さだったりに似たものを感じてます。芥川の「杜子春」とはまたちがった雰囲気なんですよね。キヨとアキの二人もいいですね。はじめ男かと思ってたら、女の子だったというのも、ちょっと好きな人は好きな展開だし。全十五回なので、ゆっくり楽しみます。

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Author : sougen

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