烏有文集 二〇一九年十月

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2019.10.16 [水] 本を買いました
2019.10.17 [木] 政治に関して
2019.10.18 [金] アイデンティティについて
2019.10.19 [土] お題をもらって
2019.10.20 [日] 『アラブが見た十字軍』
2019.10.21 [月] 休みか休みでないか
2019.10.22 [火] 即位礼正殿の儀
2019.10.23 [水] 雑誌とデザート
2019.10.24 [木] フランス文化史三冊
2019.10.25 [金] 「ジョーカー」観ました
2019.10.26 [土] みじかいのを
2019.10.27 [日] 人生四十プラス云年
2019.10.28 [月] ジョーカー解説
2019.10.29 [火] ラカンとジョーカー
2019.10.30 [水] 3DSとふくらはぎ
2019.10.31 [木] 「書く」と「描く」

2019.10.16 [水]
本を買いました

夕方、チャリをこいで書店までいって、買ってきました。
ふだん買わないものを買ってみようと思って、選んだ本です。

あと、ツイッターやカクヨムで話題に上がっていた100分de名著も買いました。

100分――は、凝集された情報が、一冊に集まっているので、お得感でいっぱいなんですよね。空き時間にすこしずつ紹介していこうと思います。

2019.10.17 [木]
政治に関して

わたしは政治的にいえば、無党派層という分類に属するのだと思います。その都度、その時点で持っている情報に即して、だれに投票するかを決めています。特定の党にシンパシーを持っているわけではない。ただ、関心だけは喪わないようにするつもりでいます。

誰に投票するかを決める時に、もちろん、自分の未熟さゆえに、過失もあることでしょう、しかし政治は実行を伴うものだから、誰にその実行してもらうかという委託を行う手段であるから、自分が誤った判断をするかもしれない可能性もわきまえたうえで、えいやっと、鉈をふるう気持ちで誰か一人を選ぶ必要があります。

あるいは、現行の政治制度が気に食わないのであれば、その制度設計を変革するための運動をどうすれば起こせるかを考えなければなりません。わたしは物書きですので、評議会制度の実施される世界であれば、どのような政治形態が行使されているだろうかとか、政教分離がなされないままに現行の情勢に行き当たる社会であれば、どのような判断が下されるだろうかと、あれこれ想像するだけの余裕が具備されてもいるわけです。ただいまの日本は間接民主主義の政治形態がとられている。それはゆるぎのないものです。その社会に属する一員として、その範囲の中で考えてみたいことがたくさんあるからこそ、わたしはいまだに選挙にもいくわけだし、これが完璧な答申であるというようなものは持ち合わせないでいても、その都度、ベター、ベストな判断を下したいと試みているわけです。

2019.10.18 [金]
アイデンティティについて

アイデンティティとは何かと考えていくと、日本の中と、日本以外の国では、この問題に関しての答弁の仕方が変わってくるように感じられます。日本以外の国でアイデンティティの問題は、個が尊重されすぎる中で、帰属の問題を訴える勢力とどのように折り合っていくかということが問題になるのに比べて、日本国内では、個にもなりきれない、帰属の問題もはなから相手にしない、そういった立場の別が明確にあるように感じられます。これがなにに起因するものかと考えてみれば、個人が責任を引き受ける覚悟があるかどうかというところにそのちがいがあると思われます。

重荷を背負う覚悟を自覚しないままに大人になって、なあなあで過ごす中で、いたずらに年だけを食っていく。与えられるものだけを受け取ることで満足するのであれば、なんのための生きているのかという問いかけに対して、なんの答えも返す事ができません。自己のアイデンティティを尊重する個人であれば、自身に投げかけられる問いかけに対して、可能なかぎり明瞭に答えてみたいという欲求が、個人として、自己の側から、切実に沸き起こってくるはずです。

日本国内の言論空間を見渡してみても、個人の責任の範疇において、いうべきをいっている人の比率が、他国に比べてかなり低いように思われるのは気のせいだろうか。誰に寄り掛かるわけでない、自己の責任において、物をいうことのできる人の割合の増えていくことこそ、現代の世界、社会において、有望な人材であろうと、わたしは思うものであります。

2019.10.19 [土]
お題をもらって

ツイッターの診断メーカーでお題をもらって書いてみました。

気力のつづくまで、継続してみようと思っています。

2019.10.20 [日]
『アラブが見た十字軍』

明日から仕事が連続するので、予定していた競馬場行きは取りやめました。京都競馬場に菊花賞(GⅠ)を見に行く予定をしていました。いったん行くとなれば、車を運転しない私は、電車が唯一の交通手段になりますし、行ったら行ったで、向こうであれこれ買い食いしてしまうわけですから、その分、家でゆっくり休んでいた方が、お金も浮くし、体も休まるしということで、行くか行かないかを天秤にかけて、後者を選択したのでした。

それでも夜勤帰りから、眠りについたときには、早めに起きたら、近場の映画館に『ジョーカー』を見に行こうかとも考えていたのです。ただこれも、すぐに見たいほどのものでないため、DVD/BD化されるのを待って、パッケージを買うことにしようと、考えを改めました。

なにしろ、『ダークナイト』は数年前にDVDパッケージを買ってあるのです。なのに、全編通して見ていない状況です。『バットマンビギンズ』は観了しています。そのつぎの『ダークナイト』は見るとなると、いつも途中でなんらかの用事が入ったり、気がそがれてしまって、最後まで行きつかない。これまでに四度ほど、見ることに挑戦した経緯がありました。すくなくとも、これをしっかり観た後で、映画『ジョーカー』に挑戦すべきであるとは思っています。

 

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『アイデンティティが人を殺す』を読み終えました。読書メーターのサイトに感想文を投稿しました。ここに再掲します。

 

グローバル化が多様性を殺してしまうのは、地方都市の郊外化と同じで、どこに行っても、同じ商業施設があって、おなじ食べ物屋があって、物はあるんだけど、それぞれの差異が失われていくことに似ている。数の多い側が少ない側にふるう陰ながらの暴力とも見える。アイデンティティ=個性は、日本国内にあっては、うまく見えるようになっていないし、個人の個性のありようが、この本に書かれているような段階において、問題が起こっているという風には受け取れない。それ以前ともいえそうだ。

帰属について。アイデンティティをひとつの属性に固定することの危険性は、日本国内の狭隘な言論空間ではいくつもの類例を見ることができる。「つまるところ、おまえは誰の味方なんだ」、「どこに所属しているのだ」と迫られるときに覚える危機感についても、本書では言及されている。多くの属性を備えているアイデンティティをそのままの形に受け入れ、他者のそれも認め合っていくこと。それができないでいる状況が、社会を混乱に導き、人が人を憎みあう結果に結びつく。読むことができて良かった。

『アイデンティティが人を殺す』感想 - 読書メーター
https://bookmeter.com/books/13668968

 

その後、おなじ著者の『アラブが見た十字軍』を手に取りました。
クルジュ・アルスランの名前と彼の辿る軌跡に、田中芳樹原作の『アルスラーン戦記』の数々のエピソードを彷彿しました。また『時の車輪』の、アイール人関連のエピソードも同様に彷彿しました。ロバート・ジョーダンの考えていた世界観は、具体的にどのあたりに焦点をあてていたのでしょうね。世界史について造詣が深ければ、これはこうだときっちり定められるのでしょうけれど、惜しいかな、わたしはそれほど詳しくないのでした。

2019.10.21 [月]
休みか休みでないか

明日21日が祭日で、今日が月曜日であるから、日曜と祭日に挟まれた月曜日は休みになるのかという疑問に対して答えているWebページがありました。一瞬、休みなのか、と思われたのは、今年のカレンダーに限っては、遠目から日付を見ただけでは、本当に休みなのか、それとも出勤日なのかよくわからないわけです。

げんに21日もほかの平日のように、数字は黒色なのに、わきに日本国旗のマークと、小さい文字で「即位礼正殿の儀」と書かれてあって、ぱっと見、祭日で休みというのがわかりにくくなっている。ともあれ、明日は休みです。

国民としては不義理かもしれませんが、夜勤から帰ってきたらさっさと寝てしまって、はやく起きられれば、近場で映画を見てこようかと思っています。体力がもたないかもしれないので、コンディションと相談ですが。でも、そんな日に、自分の楽しみのために行動をとるのは、罪悪感もあって、やめたほうがいいかなと逡巡する気持ちにあるにはあるのでした。

2019.10.22 [火]
即位礼正殿の儀

即位礼正殿の儀によって、本日は祭日、つまりお休みです。夜勤はあいかわらずありますけど。

午後1時すぎ、『ディアブロ3』を遊んでました。ステージⅣの四つ目のクエストで、倒すべき敵を見失ってしまい、右往左往していました。次のステージまで進出してしまって、途中で行き過ぎに気づくこともありました。各ステージにランダムで用意される5つのクエストをクリアすると、ホラドリムの箱を入手することができます。その箱には、けっこうな確率でレアアイテムが入っているので、ときおり、ほんとときおりなのですが、時間のあるときに、5つをこなして、ドキドキしながら入手した箱をあけています。

だいたい1時半くらいにゲームに区切りがついて、テレビをつけてみれば、即位礼正殿の儀のだいたいが終わって、陛下が去られるところでした。ネットでシーンを後追いしました。朝から雨でしたが、儀式がはじまると、空もあがって、虹まで出たそうです。そういうのはありうると思っている人なので、すばらしいなと感じました。

 

 

ここ一週間ほど、小説に手を伸ばしていないので、プチ禁断症状が出始めています。こういうときはラブクラフトとか、シャーリアの魔女とか、クシエルとか、山尾悠子さんとか、このところ手の伸びていなかった本を読みたくなります。またそちらを読むほうがよさそうだという勘がはたらきます。

2019.10.23 [水]
雑誌とデザート

先月はあわや買い逃したかと思いこんだ雑誌を購入するために、すこし離れた商業施設まで足を運びました。買ったのは、『サイゾー』と『新聞ダイジェスト』の(ともに)11月号です。サイゾーは帰ってきてから、さっそく一通り目を通しました。白黒ページのいくつかに関心をひく記事が掲載されてありました。ビデオニュースドットコムの記事はいつも感銘を受けています。

ほかにもいろいろ買ってきました。税込み400円台の赤と白のワインを四本買いました。また、洋菓子店でデザートを買いました。写真を撮ってあるのでここに掲載します。

 

 

柿のプティタルトです。それぞれのパーツはおいしいけれど、硬さ柔らかさがうまく一致していなくて、ちぐはぐな印象を受けたのは残念でした。柿の果肉が切りにくくて、これをフォークで切ろうとすると、土台のほうでむしゃげてしまうので(←これは方言なのかな?)、食べるのに難儀しました。結局、柿をこまかく切るのは断念して、大きい塊のまま口に入れるしかなかった。このデザートの理想的な食べ方ってどんなものなんだろう。わたしには最適解を導くことはできませんでした。味はよかったです。なにより、熟れた柿を食べられたのがよかった。

2019.10.24 [木]
フランス文化史三冊

ちょこっとずつ気になる本をアマゾンで買っています。
1と3だけは入手してあったフランス文化史という三冊本。
手ごろな値段で2が出ていたので、このまえ、ぽちっていたのでした。

 

 

フランスの文化史をさらうのに、手ごろな本だという触れ込みを観たことがあって、それでいつか読みたいと思ってました。入門編とのことです。自分が好きなのは、それこそ、スタンダールが出てきてからの時代なので、それより前のことも、それぞれの時代の詳しいことも、頭に入っていません。通史的に頭に入れられるものがあれば、読んでおきたいと感じてました。ほかにもフランス史についての本は別系統でいくつか買ってあって、それも中途半端にしか読めていないのです。あやふやなままで何年も放置している状況です。可及的速やかにこの三冊を読み終えたいところです。

2019.10.25 [金]
「ジョーカー」観ました

映画「ジョーカー」を観てきました。

 

 

アーサーがジョーカーになっていく過程が描かれます。笑いがひからびている。荒い苛立ちを帯びている。空気が張り詰めて、耐えきれないものへと変わっていく。子供のころ、テレビを観ていても、人が失敗しても、ことあるごとにけたたましく笑っていた自分を思い出した。あのころ、笑いは攻撃性の発露だよ、といわれても受け止められなかっただろう。現在はどうか。わたしは笑いは攻撃性を示すものに限らないと思っている。あの当時、自分が笑っていた理由――せめて笑い声でもあげなければやりきれない、自分の裡に感得していた、なにもなさ、からっぽさ、甲斐のなさ、この意識を、噴きあげる笑いの騒擾の中に麻痺させなくては耐えきれなかった。そんな感覚のあったことを、いまでも鮮明に覚えている。それが自他ともに向かう攻撃性の亜種だといえばそうかもしれない。

誰でもジョーカーになりえるか、という問いに対して、大半の人間はジョーカーに引きずられて影響を受ける人間にはなりうるかもしれないが、ジョーカーになりうるのは、限られた一部の人間であり、さらにいえば、なんらかの不幸な偶然の重ならない限り、その可能性は限りなく低い値にとどまる、といいたい。

不安にも不満にも押し込められて、自由に身動きをとれない自分を感じる人は、社会にあふれているはずだ。それでも日々の生活のために、小さなところに満足を見出すことで、現状に対して相対的に我慢を重ね、軋轢を感じても、苛立ちを覚えても、ことさら大人しく、軽挙妄動を慎む。それが現代社会のマインドだろう。

かといって、この現代、したいことをしてもいい自由が与えられたとして、だれがふだんと違うことに打ち込むだろうか。車がある人間は車を運転し、スマホで十分な人間はスマホだけをさわる。遠出は疲れる。すこしでも休みたい。何気ない日常から、自分なりの満足を引き出す。高望みの概念が薄れているのが現代日本の姿だろう。

ジョーカーはダークヒーローと呼ぶべきか。誰もが達しえないところに達しており、強烈な個性が観衆の耳目を惹きつける。全編を通じて、不協和音の連続だった。しかしジョーカーの内面の衝迫と一致するような音のつくりに、共感を覚えるシーンが幾度もあった。

わたしは引き金を引ける人間ではない。異なるアイデンティティを認めることのない頑迷固陋な社会に自分のむき出しの感覚をいかに麻痺させてやり過ごすか。これができなければ、まともに生きられる社会ではない。同時にそれがものをわかった大人になることと同義なのかもしれない。なんて、映画を観終えたわたしは思っている。

 

*

 

映画を観終わってから、お昼ご飯にとんかつを食べました。
三種の盛り合わせです。追加でみそだれも注文しました。

 

 

おなかがすいていて、白ご飯をおかわりして、あっという間に平らげました。
店に傘を忘れかけて、店員さんが声をかけてくださったことには感謝しています。
ありがとう。

2019.10.26 [土]
みじかいのを

短いものを書きます。長いものを書きたい気持ちを抑えています。
いったん書き始めると長くなるから、終わりの見えているものでがまんしています。
お茶を濁すというものだろうと思います。

 

 

はじまりとおわりが決まっていると、物語の幅は制限されていくものだけど、そのなかにどんな単語を用いるかは人それぞれなのだから、細部にこそ、ちがいは生まれるものと信じています。

2019.10.27 [日]
人生四十プラス云年

遠くまで来ましたね。人生四十プラス云年。四十を過ぎてから、誕生日が特別なものだと思い直すようになりました。四十になるとき、不惑になった実感がむくりと湧いた事実があって、そこからはくよくよすることも無くなりました(減りました、というべきかな)。

また、祖父の祥月命日でもあります。早くに亡くなったので、祖父との思い出はわずかなものです。でも、憶えているエピソードはこれまでに何度も脳内で再生してきたものだから、自分の血肉になっているように感じます。ほかの家にお祖父さんのいることをうらやましく感じたことは何度もありました。

夕食はふんぱつしました。といっても、温めただけですが。

 

 

四十プラス云歳の一年が、はじまります。

2019.10.28 [月]
ジョーカー解説

映画ジョーカーについての解説動画を複数見ました。解説する人によって言葉はそれぞれちがうけれど、論点には似通ったものがありました。プロット的なものが似すぎていて、ここについて言及しましょうという方針がどこか中央に提示されていて、それぞれが提示に則って話しているように思えるくらいに、画一性を感じてしまいました。

しかしヤングサンデーの話は面白かったし、すっきりまとまっていた。話術だなと思いましたよ。

山田玲司のヤングサンデー YouTube
#231 ジョーカーはなぜ「笑う」のか!?〜衝撃の大傑作『JOKER』真相解説スペシャル!!
https://www.youtube.com/watch?v=cjbTJD4McLk

どうして仲良くしてくれた相手だけ許したのか、についても突き詰めて考えてみたい。いずれ詳しい考察を書いてみたいですね。

観られてよかった。いずれ円盤も買いましょう。きっと。

2019.10.29 [火]
ラカンとジョーカー

ジャック・ラカンの文章を読んでいました。面白いですね。ふだんから考えていることに応じた文章であるため、読んでいてしきりに頷かされます。映画『ジョーカー』のこと。主人公アーサーがジョーカーへと変貌していくなかに繰り広げられた精神の変性について、まとまりにくかった雑感も次第に文章の形をとってくれるようになりました。

もう一度、映画を観に行くのもいいなと感じ始めています。とはいえ、これをもう一度観るよりは、やはり円盤化されるまで待つ方がいいかと、そんなところに二の足を踏んでいるわたしであります。

ラヴクラフトの小説「インスマウスの影」の再読をはじめています。

前回読んだとき、さっぱり頭に入ってなかったんだと気づきます。インスマウスの不気味さをちゃんと捉えていなかった自分の無能を思い知らされます。人気のない港町の、魚の臭いが始終立ち込めている、たまに見る人たちの顔はどこか怪物じみている、交通手段は一日に何度もないバスのみという寂しさ、そこの人間に対するよその土地の人たちのよそよそしさ、じっくり読めば読むほど、その雰囲気にはサイコスリラー的な緊迫感が伴います。

2019.10.30 [水]
3DSとふくらはぎ

ひさしぶりにゲームを起動しました。携帯ゲーム機で遊んでる人っていまどきは激減しているんでしょうね。こちらは3DSだって、ちゃんと現役です。

 

 

こちらは『シアトリズムファイナルファンタジーカーテンコール』。長いタイトルです。ふっと思いついて起動して遊んでみましたが、ミス数がとても多い。ぜんぜんうまくありません。下手の横好きレベルですよ。それでも歴代のFFの音楽で遊べるリズムゲームというだけで遊びがいのあるゲームです。

 

 

こちらは『真・女神転生 ディープストレンジジャーニー』です。ペルソナシリーズによってこのジャンルのゲームが好きになりました。悪魔合体サイコーです。まだレベルは十とちょっとなので序盤です。ようやく新機能があれこれ追加されて、ゲームっぽくなってきたなという感覚です。

このゲームはビジュアルが好みです。画像にはビジュアル面はほとんど出ていませんが、マイルドな線で描かれる柔和な感覚が、観ていて気持ちのよいものです。天使・悪魔。面白いくらいたくさん出てきます。

 

 

仕事終わりにコンビニによって買ってきました。キリンのグレープサワーがおいしかった。わたしはなんでもチューハイといってしまいたくなりますが、ウォッカを使用しているものはチューハイではないんですよね。

仕事で疲れていても、アルコールを摂取しておかないと、なかなか眠れないのですよね。くうっと深く眠るにもお酒の力を借りなければならないって、これはちょっと年齢的なものもあるのかな。とか思います。

 

*

 

子どもの頃から家でも椅子に座ってました。足は折らずに伸ばすことが多かった。床にじかに座るときは、正座はせず、女性のように足を片方に折りたたんで座っていました。よくばかにされたものですが。そのおかげかと思いますが、足の形、ふくらはぎなんかの形はかなり良く育ちました。正座ばかりしていたからダイコン足だという話をされてる方がいらっしゃったので、そういえば、わたしは正座をすることがほとんどなかったし、家にいる間はいつも椅子に座ってたなと思い返したのです。

お子さんの足の形を考えるなら、正座よりも、椅子に座るのがいいですよと、いっておきたい。口をすっぱくしていっておきたい(なにを力説しているのかな)。

2019.10.31 [木]
「書く」と「描く」

仕事で使っているノック式の赤マジックのいま。

ここまでペン先が小さくなってもまだ書けているのがめずらしい。いつもだったら、すでに書けなくなっているぐらいのレベルですけど。今回は長持ちしてくれています。ペン先が駄目になるのが先か、インクの切れるのが先か、どっちかな。

 

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言葉の用法が気になって、字典をひらきました。「描」という字です。

書くはそのものを書く。描くは描くものの裏にさらに大きな存在があるイメージ。そんなちがいをニュアンスとしてもっていました。文章で表現するさいも、わたしは描くを用いる派です。

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Author : sougen

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